2014年11月10日月曜日

てんかんを診断するということ

先日から、「てんかんなんですけど、診てもらえますか?」という予約の電話をいただき、いらっしゃった方の中に、「ん?」と思う方に何人かお会いしました。

よくお話を聞いてみると、「血をみて倒れてけいれんして、脳波をとったらてんかんだと言われた」とかいう、先日のブログでもご紹介した失神が明らかに疑わしい方もいらっしゃったのですが、そもそも「なんでてんかんなんでしょうね?」と、ご自分がなぜてんかんだと診断されたのか、そのこと自体を全く説明されていない方もおられました。この方は「脳波が悪かったからですかね?」と、逆にこちらに質問されて、ちょっと困ってしまいました。実際には脳波にも異常が何もないので(異常があると言われた脳波を持ってきてもらっても見つからないのです)、なぜそういう話になったのか全く分からない、ということが現実的にあるわけですね。

私はてんかんを診断することは、てんかんだと診断しないことよりもずっと勇気がいることだと思います。てんかんだと診断されれば、運転免許など社会的制約もありますし、現実的には厳しい偏見の目もあります。またてんかんだと診断されることで患者さん(というのが本来ふさわしくないのですが)は精神的にも大きな負担となります。「あなたはてんかんです」と言うのは重大な告知ですが、これは専門医であるほどそうではないかと思います。その言葉を告げることによってこれから考えなければならないことが沢山あることを知っているからです。

しかし現実には、「てんかんかもしれない」という言葉は非常に軽く発せられているように思います。「てんかんかもしれない」「てんかんが否定できない」といったあいまいな判断から、「念のために」治療が開始され、「てんかんだったら」危ないので運転免許も止めておいたほうがいいとか、薬を服用しながら妊娠するのはちょっと・・・みたいな話になり、いつの間にかもともとはてんかんがあるのかないのかすら話題にのぼらなくなり、担当の先生も変わっていき、いつの間にかその患者さんはその病院では「てんかん患者さん」になり・・・といったことがあるようです。わかります。ずっと昔の自分もそうだったかもしれませんから・・・。

もちろん、てんかんの診断が問診や脳波検査などを行っても困難なことはあります。ただその場合は困難なことを踏まえて「いまの時点ではてんかんとは診断できないが、てんかんを考えながら経過をみる、あるいは一定の期間だけの行動の制約をお願いする」というのが正しい姿勢ではないかと思います。

その間にできるだけ診断に近づく努力をするべきです。症状がある程度あるならビデオカメラで症状を撮影してもらえれば、てんかんを専門にしている医師なら見ればだいたいは分かります。専門にしていない先生であれば、症状と脳波所見を一緒に検討できる、長時間ビデオ脳波同時記録をお願いするためにてんかんセンターに紹介する方法もあるでしょう。「否定できない」ぐらいなら、診断しないほうがよいと思っています。これからもそうした立場から情報を発信していきたいと思います。

2 件のコメント:

  1. この歳になると色々な診療を受け様々な説明を受けてきましたが、各診療科目の先生方の知見で患者に対し明確な説明をする先生や曖昧な説明でその場を過ごす先生もいらっしゃいます。
    専門知識のない患者側からするとどうしても先生の診断を全て鵜呑みにし、先生の言われるがままになってしまう事が多いのが現状な気がします。
    その中でこの小出先生の「てんかんを診断するということ」を読ませていただくと、スペシャリストとしての判断の難しさや患者目線での思いやりのある診療を行っておられる様がとてもよく伝わってくると思います。
    攻めた診療、守った診療、お医者様の立場やそのお医者様の性格等で様々だとは思いますが、小出先生のように患者目線にたった診療ができ、さらに「現状把握」「その現状からの対策」「それらの明確な患者への説明」をしっかりされているお医者様がこの日本の医療を支えているのだと思います。
    これからも日本の「てんかん」でお悩みの方々を一人でも救えるよう頑張ってください。
    素人ながらご意見書かせていただき恐縮ですが応援しております。

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  2. せくっち様:過分なお言葉ありがとうございます。これからも患者さんとの話し合いを大事にした医療をしていきたいと思います。投稿ありがとうございました。

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